先日、母校日本デザイナー学院にて、夢の専門学校講師デビューを果たしました!!
卒業して3年、在校中からずっと、
やりたいやりたいと言い続けて、言い続けて、(笑)
今回は自分から企画を持ち込み
短期間の時間講師としてですが、一応先生デビューさせてもらいました( ´ ▽ ` )ノ!!
めっちゃ楽しかったーーー!
ちょっと長くなりますが
私の長年の夢の話の発端は小学校にさかのぼります。
まず、小学校高学年の時の担当の先生が
それはもう面倒見の良い方で、しかも企画力もある方で、
学校の正規の時間以外にも土日に
クラスのみんなを川に連れて行って遊ばせてくれたり
自宅に呼んでピザを手作りしたり…
それが楽しくて楽しくて!
そんな先生が大好きでした♡
また、私が通っていた小学校は「先生制度?」というものがありまして
学校で問題を解く時、
早く答えがわかった人は
周りのわからない人にやり方を教えてあげる、
というのが
日常的に行われていたのです。
そこで、「人に何かを教えて喜んでもらう楽しさ」を経験。
それが何だか自分の「せんせい」としての
ルーツな気がします。
もしこのまま順調にすくすく育っていたら
今頃小学校の先生になってたかもしれませんが
ここで純粋な私に魔の手が…!!
中学高校で、抗えない漫画の魅力にとりつかれ
夢が一気に「小学校の先生」→「漫画家」へww
ひたすら絵を描く日々に笑
先生への夢なんて、どこへやら〜ですよ!
いや〜本当に来る日も来る日も漫画を描いてましたね。
そして飽き性なので
一向に物語が完結せず!!!笑
でもちょうど同じ頃、
漫画と同時に、デザインを作る
デザイナーという職があることも知りました。
私は長崎出身なのですが
デザインが本格的に学べる学校が一つありまして…
しかもその学校、制服が
パフスリーブで!!!!!
しかもカッターシャツが水色とピンクと黄色の
3色から選べるという
かなり女子ゴコロをくすぐる学校だったんです!!!!!
「ここに行くーーー!」と
胸を躍らせた私ですが
父が猛反対!!!!
まだまだ当時、漫画家同様
「デザインって仕事にして大丈夫なの??」という
古い考えが多かった時代、
父は将来の事を考えて「進学校に行け」と言うのです。
うちのお父さんは、筋金入りの九州男児。
女3姉妹+母が束になってかかっても敵わない
父の一声で
私は泣く泣く進学校に通うことになったのでした。。。
そして、一気に書くつもりでしたが
思いのほか長くなりそうなので
「29歳で夢の「先生」になるまでの道」として
シリーズ化しようと思います笑
Chie少女の青春の続きはまた別の日に( ´ ▽ ` )ノ
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